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世の為、ひとの為

世の為、ひとの為

私利私欲・党利党略・主義主張を超える理論は、 世の為・人の為がそれである。 法律をも超える事が出来る。 手柄を立てるには、世の為人の為という、 善意と思いやりがなければ、輝かしい功績は残せない

 

第18話 運命の出会い その2



大広間で卑弥呼は待たされた。

いつの間にか、中央の卑弥呼の両側に、側近の者達が、

ズラ?とならんで座っていた。彼らも、評判の神がかり、

女性の卑弥呼の見学に来ていたのだった。

「お前を呼んだのは私だ、わしの孫の病を治してくれ、

その前に、聞きたい!なぜ?そのような力を授かったのか?」

「それは、私にもわかりません。それがわかれば、私と同じ能力を教育すれば持てるでしょう」

「神の気まぐれか?。まず、治療をしてくれ」

私に治せるかわかりませぬが、やってみましょう。お孫様の所へ案内してください」

「ついて参れ!」

天子は孫の寝所へ歩き出した。

南向きの明るい一室に3歳の男の子が寝かされていた。

青白い顔色から、いかにも病弱でいたいけな子だった。

「病を治して欲しいというのはこの子なのですね」

天子に問いかけた。

「そうだ!治せるか?」

「やってみましょう」

卑弥呼は早速診察を始めた。

この子の症状は奇病でない。同じ症例を九州で見てきた。

食料事情の悪い、貧乏人の子に良く出る症状だ。

日本の王と呼ばれる皇室になぜこんな病が出るのかと、不思議に思った。

「どうだ?病は治るか?」

心配そうにたずねた。

「おそらく、半年もすれば回復するでしょう」

卑弥呼は子供を裸にして、全身をさすりだした。特に、膝の周りを念入りにさすった。たたいて、揉んで、掴んで、背中と腰とツボを押し、足を伸ばした」

母親の乳の出が悪く、栄養不老から来る胃腸の弱さが、すべての原因だった。

やがて、子供は見る見る元気になった。

そして、卑弥呼のすっかりなついていた。

奈良の都について半年が過ぎていた。

いよいよ、別れが近づいた


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第17話 運命の出会い その1



日本の歴史教育は7世紀から始まります。

その理由は、文字です。文字によって、記録が残っているからです。記録を丹念に調査した結果を子供達に教えているわけです。しかし、実際には、インカ・マヤの文明と同じように文字のない歴史が、7世紀以前2000年以上の歴史があるわけです。

 卑弥呼の時代は文字のない世界に生きていた。

しかし、中国ではすでに文字が実用化されていました。

そんな、世界に生きていた人間のドラマです。



卑弥呼は宮殿の中に入った。

宮殿の周りには土塀で囲まれ、大きな門と呼ばれる扉があり、大きな屋敷だった。床は高床と呼ばれ、地面から2mはあり、床の下を歩けるぐらいの空間が設けられていた。

宮殿の周りには同じ様な高床の建物があり、米蔵だった。

 卑弥呼の一行は大広間に案内されて、ここで待てと指示を受けた。しばらくして、天子が現れた。



 
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