大広間で卑弥呼は待たされた。
いつの間にか、中央の卑弥呼の両側に、側近の者達が、
ズラ?とならんで座っていた。彼らも、評判の神がかり、
女性の卑弥呼の見学に来ていたのだった。
「お前を呼んだのは私だ、わしの孫の病を治してくれ、
その前に、聞きたい!なぜ?そのような力を授かったのか?」
「それは、私にもわかりません。それがわかれば、私と同じ能力を教育すれば持てるでしょう」
「神の気まぐれか?。まず、治療をしてくれ」
私に治せるかわかりませぬが、やってみましょう。お孫様の所へ案内してください」
「ついて参れ!」
天子は孫の寝所へ歩き出した。
南向きの明るい一室に3歳の男の子が寝かされていた。
青白い顔色から、いかにも病弱でいたいけな子だった。
「病を治して欲しいというのはこの子なのですね」
天子に問いかけた。
「そうだ!治せるか?」
「やってみましょう」
卑弥呼は早速診察を始めた。
この子の症状は奇病でない。同じ症例を九州で見てきた。
食料事情の悪い、貧乏人の子に良く出る症状だ。
日本の王と呼ばれる皇室になぜこんな病が出るのかと、不思議に思った。
「どうだ?病は治るか?」
心配そうにたずねた。
「おそらく、半年もすれば回復するでしょう」
卑弥呼は子供を裸にして、全身をさすりだした。特に、膝の周りを念入りにさすった。たたいて、揉んで、掴んで、背中と腰とツボを押し、足を伸ばした」
母親の乳の出が悪く、栄養不老から来る胃腸の弱さが、すべての原因だった。
やがて、子供は見る見る元気になった。
そして、卑弥呼のすっかりなついていた。
奈良の都について半年が過ぎていた。
いよいよ、別れが近づいた
日本の歴史教育は7世紀から始まります。
その理由は、文字です。文字によって、記録が残っているからです。記録を丹念に調査した結果を子供達に教えているわけです。しかし、実際には、インカ・マヤの文明と同じように文字のない歴史が、7世紀以前2000年以上の歴史があるわけです。
卑弥呼の時代は文字のない世界に生きていた。
しかし、中国ではすでに文字が実用化されていました。
そんな、世界に生きていた人間のドラマです。
卑弥呼は宮殿の中に入った。
宮殿の周りには土塀で囲まれ、大きな門と呼ばれる扉があり、大きな屋敷だった。床は高床と呼ばれ、地面から2mはあり、床の下を歩けるぐらいの空間が設けられていた。
宮殿の周りには同じ様な高床の建物があり、米蔵だった。
卑弥呼の一行は大広間に案内されて、ここで待てと指示を受けた。しばらくして、天子が現れた。