世の為、ひとの為

世の為、ひとの為

私利私欲・党利党略・主義主張を超える理論は、 世の為・人の為がそれである。 法律をも超える事が出来る。 手柄を立てるには、世の為人の為という、 善意と思いやりがなければ、輝かしい功績は残せない

 

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奇跡か?それとも”神がかり



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     宇佐神宮

    八幡宮の総本山



何度も言うが・・彼女は普通の主婦だった・・

愛する者を失った代償で得た能力だ・・・・・



学問を積み重ねるという苦労で勝ち得た知識が・・学者たち

生きる苦労を重ねた苦労で得た知識・・・・・・・霊能力・・



給料をもらいながらする学者には・・

生きる苦労は無縁のもの・

霊能力を理解できない原因だ・・・



卑弥呼の場合は千年に一人・・・神がかった人物だった



神より授かった能力で大活躍・・・

やがて・・寿命が尽きた

亡骸は 夫と娘が眠る墓の隣に埋葬された・・



後に・・大和朝廷が社を建てた・・



彼女の活躍を称して・・神宮皇后と称号を与えた

だから・・      夫は応神天皇の敬称を得た

娘は・・・・一人娘で 一姫・・・



宇佐神宮の祭神だった・・・



卑弥呼のたぐいまれな知識は・・天から夫が教えたに違いない

なぜなら・・夫婦は一心同体、

心はこの世とあの世を繋がっているから



宇佐神宮の広大な敷地は・・墓守として・・

卑弥呼の弟(難斗米(ナシメ))に与えられた・・・

そして・・彼の子孫が増えて・・・分家していく

やがて・・宇佐神宮は・・八幡宮と称し 

本家は総本山となる・・・



百枚の銅鏡は・・ここに眠る・・たぶんここの・・あそこだ


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卑弥呼の策略  3



卑弥呼は徳の高い霊能者・・・



邪馬台国の研究者は卑弥呼を・・・・・・・・・・・・・・ 

普通の「巫女」ぐらいにしか考えてない。



とても・・霊能者とも・・考えられない・・・



天才は天才を知る・・・

学者には・・霊能者を理解できない・・・



工事中



 
 

卑弥呼の策略  2



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南、投馬国に至るのに水行二十日。

長官を弥弥(ミミ)、次官を弥弥那利(ミミナリ)という。

五万余戸ばかりがある。

また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。

ここが女王の都するところで、長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を

弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳(ナカテ)という。

七万余戸ばかりがある。

女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。





卑弥呼は思った・・・

魏の使者を招くにあたって・・・馬鹿にされては困る・・

まず・・魏の国は大きい・・倭の国は小さい・・

だから・・大きく見せたい・・・・・

そこで、卑弥呼は策略を練った・・・



策略 1・・対馬から志賀島から・・

      水行すれば・・5日

      陸行すれば  7日 のどちらかで邪馬台国に着く

それでは・・1か月もかかる魏の大きさに比べれば・・

あまりにも・・・・小さすぎるから



そこで工夫をした・・・・

最短距離をやめて・・右回りコースをとらせた・・・

佐賀ーー長崎ーー熊本ーー鹿児島・・薩摩湾に上陸し・・

後は陸行・・鹿児島ー宮崎ー大分を縦断させた・・



しかし・・それでも時間は余る・・・

あまった時間は魏の使者が消費した・・

「ノーパン、しゃぶしゃぶ」の接待だ・・

ここが・・「壱国です」と称し・・酒と温泉と女で・・接待・・

失った時間が・・距離が距離が増える・・



使者の立場から・・王に報告する・・倭とは何ぞや?

遊んで消費した時間は・・絶対に報告できぬから・・



この・・卑弥呼の策略は・・日本人の子孫まで・・騙せた・・



徳の高い霊能者・・・何をもって・・「徳が高い?」という



「できるだけ遠くの未来が見えるもの」だと私は思う





 
 

卑弥呼の策略  1



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    魏の都は洛陽





南、投馬国に至るのに水行二十日。

長官を弥弥(ミミ)、次官を弥弥那利(ミミナリ)という。

五万余戸ばかりがある。

また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。

ここが女王の都するところで、長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を

弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳(ナカテ)という。

七万余戸ばかりがある。

女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。



ここが、魏志倭人伝の最大のポイント・・・・

水行30日・・陸行1か月・・・

この記述が九州説を否定する・・

つまり・・まともに解釈すると・・九州を突き抜ける・・

なのに・・なぜ?・・九州なの?・・・



大分県宇佐市にある神宮が卑弥呼の墓だとわかってこそ・・・

この謎が解けてくる・・・・



魏志倭人伝・・これは文章だ・・

文章には必ず書いた本人の「心が」文字に乗り移っている・・

よく読めば・・感じて来る・・・

作者は・・喜んでいるのか?

     悲しんでいるのか?

     苦しんでいるのか?

     笑っているのか?

よく読めばわかる・・・



さらに・・人間は・・人を動かす者と動かされる者

魏志倭人伝の文章は動かされた者が書いた・・・

動かされた者は動かした者の心が読めない・・・



動かした者・・卑弥呼

動かされた者・魏の使者・・

つまり、魏の使者には卑弥呼の心が読めない



だから・・謎のなっている・・

いや・・使者は文章を書いて・・やっと、理解した・・

卑弥呼の策略に・・・・・・・



邪馬台国までの道のりの謎は・・・卑弥呼の策略だった



 
 

松本清張の邪馬台国 5



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  魏より持ち帰った100枚の銅鏡

  卑弥呼の墓に埋まっている



汝が来使難升米・牛利、遠きを渉り、道路勤労す。今、難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。今、絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹.金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤を賜い、皆装封して難升米・牛利に付す。還り到らば録受し、悉く以て汝が國中の人に示し、國家汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うなり」と。



正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詣を齎し、金帛・錦ケイ・刀・鏡・サイ物を賜う。倭王、使に因って上表し、詣恩を答謝す。



その四年、倭王、また使大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青ケン・緜衣・帛布・丹・木? ・短弓矢を上献す。掖邪狗等、率善中郎将の印綬を壱拝す。その6年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、 郡に付して仮授せしむ。



その8年、太守王キ官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹エン史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。

卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、國中服せず。





上記は魏志倭人伝の後半の部分・・一番重要な部分だ・・



卑弥呼以て死す。・・・・この記述を彼(松本清張)は殺されたと解釈してる・・・つまり・・特殊な死・・

日照りや洪水や不作が続き・・天災は王の不徳が原因だとして・・代わりの女王に変わったと・・・



私は、まったく違う解釈をしてます・・・



卑弥呼は徳の高い霊能者だ・・

100人もの人間(奴婢)を殺すはずがない・・

とすると・・鏡・・「鏡は女の魂を吸い取る」という

だから・・魂を吸い取った鏡を殉教させた・・・・



魏からも持ち帰った鏡は平成の今日まで発見されてない。

100枚の銅鏡の発見が・・卑弥呼の墓だ・・・



もうひとつ・・卑弥呼以て死す・・・この意味は・・



卑弥呼の命を受けて魏に赴いて・・

「100枚の銅鏡と魏の軍旗を持ち帰った・・

さらに・・魏の公文書にこのことを書き残しました」・・と

卑弥呼に報告をした



それを聞いて・・(以て)・・・・

「あ??!”私の使命は終わった・・

もう”いつ死んでも悔いはない」

・・・・と安らかに死んでいった・・



これが・・私の解釈です





 
 

松本清張の邪馬台国 3



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松本清張は、明治42(1909)年に福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)に生まれました。幼少の頃一時、下関市で暮らし、前半生のほとんどを小倉で過ごしたのです。  

 清張は、天神島尋常小学校・板櫃尋常高等小学校(現・清水小)に通い、川北電気企業社小倉出張所の給仕として就職。不況で失職した後に、小倉で一番大きな高崎印刷所で画工職人を目指して腕を磨き、やがて独立。朝日新聞九州支社で広告を書く仕事を得ました。ふるさとで過ごしたこの時期は、仕事へのプロ意識と向上心・探求心を培い、のちに大きく飛躍する土台を築いた重要な時代だったといえるでしょう。   

 1909年から1939年までの小倉・下関―――本企画展では、「半生の記」など自伝的作品に散りばめられた当時の街並みを紹介します。今回は初公開となる清張の板櫃尋常高等小学校時代の写真を含め、貴重な写真や絵はがきを多数集めました。











清張通史?・・邪馬台国 昭和51年11月30日 出版・・



これは泉南市の図書館で資料として借りた・・・



彼は・・卑弥呼については・・やはり・・族長の娘・・の評価だ

この評価は・・ま??みんなそう思うだろうな???

学者も同類の評価・・・

女王という地位を一代で築くなんて想像すら無理だから・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私のように普通の主婦が女王卑弥呼にまで成長する・・

そんな、発想は即座に否定されるだろう・・・



点と線・・点が違えば・・まったく違った結論になる・・・

頭の柔らかい者は聞く耳を持つが・・なまじっか、知識を持った人物は聞く耳を持たん・・困ったものだ・・・



邪馬台国は現代においてもいまだに「謎」になっている

いや”「謎」を卑弥呼が造ったのだ・・・・



文字のない世界に・・文字を持ち込んだ・・

だから「なぞ」になった。



文字が実用化されるまでに彼女の時代から500年かかる・・・

500年の空白を埋めた歴史が卑弥呼だ



これが私の推理だ・・・謎を解くには・・・・

卑弥呼の心の中、胸の内、腹の中が読めれば・・

なぞは消えて・・・なるほど・そうだったのか!”納得””



彼女の心が歴史を創ったきたと言える・・・・



このように考えると彼(清張)とまったく違った解釈が成り立つ



 
 

松本清張の邪馬台国



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   魏志倭人伝



考古学と歴史の接点



歴史の実地を試みる。できるだけ多くの資料と史料を調べ、

それについての学説をを広く読むことである。

しかし、資料と史料がそのすべてを正しく語っているとは限らない。古代になればなるほど文献がなくなり空白が増える。

 その空白を埋めるには推理によるほかはない。

歴史上の推理を「史眼」という。

史眼とは単なる空想や憶測では無く、誰もが納得する説明がなくてはならない。難しく言えば論証である。

乏しい資料は、ポツポツと散ってる点である。

点と点に線を引いてつなぐのが推理である。

だから、推理が間違ったら線の引き方も間違うわけで、

さらに見当違いの点に線を引けば、

結論はとんでもない方向にそれる。

歴史上の推理も探偵が謎を解いていくのと同じである・・・・



清張の文章である・・彼の小説の原点を見る思いです。



この時代(卑弥呼)に文献なぞあるはずがない。

なぜなら・・文字がなかったから・・

なのに文献?資料に史料?・・・これは魏志倭人伝をいう

資料は中国人の目で見たか聞いたかの文章だ・・





 
 

太公望 6



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歴史をさかのぼる・・



河川は切れ目なく流れている。どこを区切りようがない。

水に上流と中流とのさかいめもないし、中流と下流の境界も

はっきりしない。

上流といい、中流といい、下流というのは・・

長い川を人が便宣上、寸法的に分断した漠然とした言い方で

もちろん、自然の流れがその区分のところで止まっているのでもなければ、水の色を変えているわけでもない。



歴史もその通りで、時代区分へ、便宜的に名前をいろいろつけて

いるが、その区分のところで、・・たとえば・・映画の場面のように、場面がパッ”と歴史が変わるわけではない・・

流れの・・・・・歴史の流れが水のように切ることができないのと同じである

・・・・・・・・・・・・



上記の記述は有名な推理作家(松本清張・邪馬台国)の序文です

この有名な作家が歴史に興味を持ち、邪馬台国の論文風の小説を書いている・・・

 

これほどの作家の本が有名にならないのは・・どこが無理があるからだろう・・・・



読んでみると・・複雑で理解しづらい・・



彼の書はドラマだが・・これは・・論文だ・



有名な作家と私の解釈の相違を対比して検証してみよう















 
 

太公望 5



なかなか” 魚は釣れんのう!””

釣りは・・もともと苦手ですからね???



漫画家を調べてたら・・・さなえネットを見つけた・・

女性漫画家らしい・・(吉川さなえ)ペンネーム知ってる?



この子の弁では・・ 秋田書店が奇特なお店らしい

(私を拾ってくれた)・・・とか・・・



私も拾ってもらおうと・・釣り糸を垂れた・・・



柳の下にドジョウをもう一匹と・・・・



邪馬台国の女王卑弥呼の一生の筋と場面を作ったので・・セリフと絵を描いてほしいと・・・



この触フレパとブログの原稿の置き場所を明示した・・



返事は・・来るかな????





 
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