世の為、ひとの為

世の為、ひとの為

私利私欲・党利党略・主義主張を超える理論は、 世の為・人の為がそれである。 法律をも超える事が出来る。 手柄を立てるには、世の為人の為という、 善意と思いやりがなければ、輝かしい功績は残せない

 

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第4話 金印の謎



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金印は福岡県の志が島で発見された。(参考文献)

鑑定を依頼された福岡藩校「甘棠館(かんとうかん)」の館長で儒学者の亀井南冥は、中国の史書「後漢書・倭伝」に書かれた次の記事に注目する。



建武中元二年(57)、倭の奴国、貢を奉り朝賀す。使人、自ら太夫と称す。

倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす。



後漢に使いを出したのは大和朝廷だとして、なぜ?中国へ使いをだした?

 この答えは、おそらく、朝廷は、決して武力を使用することなしに、日本を平定し終えた事を意味してるのではあるまいか。

たとえば、一つの例をとると、豊臣秀吉が天下を統一した、この余勢をかって、民をも征服しようと日本の外に目を向けた。これと、同じ行為をした。?そして、後漢に使いを出して、様子を探った。その国の造りを学んだ?しかし、その後、使いを送ってないのか?その後の記録がない理由は。

武力を使わず、和をもって天下を統一した。この天皇の威光を魏に知らしめるために使いを出した。

 しかし、金印を持たせ、「日本の国王に命ず」と魏の属国扱いをされた、大和朝廷は腹を立てた。だから、この後二度と使いを送らなかった。



 そして、それから約120年後に卑弥呼が生まれてくる。

大和朝廷より、邪馬台国の方がが有名になった。

 この事実から、邪馬台国が以前から存在していたと学者達は推測している理由です。

 


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Comments

No title 


ま?この辺は、歴史の事実に、創作を加えたもの、

事実は闇の中です。

20人おれば、20の意見があります。

これは、面白くするための意見と推理です。

金印が志賀島で発見されるための「下地にしました」
No title 


魏に使いを送るからには隣国周辺から送る事による

利点を充分に承知していたと思われます。

中国からどのような返答があるか分からないで使いを

送る程無知ではなかったと思います。
No title 


金印はもっと後で、重要な役割を果たす。

卑弥呼が、文字の概念を知ったのは、

この金印を見たからだ。

何処で?

もちろん、大和朝廷を訪問した時だ

 
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