世の為、ひとの為

世の為、ひとの為

私利私欲・党利党略・主義主張を超える理論は、 世の為・人の為がそれである。 法律をも超える事が出来る。 手柄を立てるには、世の為人の為という、 善意と思いやりがなければ、輝かしい功績は残せない

 

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松本清張の邪馬台国 3



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松本清張は、明治42(1909)年に福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)に生まれました。幼少の頃一時、下関市で暮らし、前半生のほとんどを小倉で過ごしたのです。  

 清張は、天神島尋常小学校・板櫃尋常高等小学校(現・清水小)に通い、川北電気企業社小倉出張所の給仕として就職。不況で失職した後に、小倉で一番大きな高崎印刷所で画工職人を目指して腕を磨き、やがて独立。朝日新聞九州支社で広告を書く仕事を得ました。ふるさとで過ごしたこの時期は、仕事へのプロ意識と向上心・探求心を培い、のちに大きく飛躍する土台を築いた重要な時代だったといえるでしょう。   

 1909年から1939年までの小倉・下関―――本企画展では、「半生の記」など自伝的作品に散りばめられた当時の街並みを紹介します。今回は初公開となる清張の板櫃尋常高等小学校時代の写真を含め、貴重な写真や絵はがきを多数集めました。











清張通史?・・邪馬台国 昭和51年11月30日 出版・・



これは泉南市の図書館で資料として借りた・・・



彼は・・卑弥呼については・・やはり・・族長の娘・・の評価だ

この評価は・・ま??みんなそう思うだろうな???

学者も同類の評価・・・

女王という地位を一代で築くなんて想像すら無理だから・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私のように普通の主婦が女王卑弥呼にまで成長する・・

そんな、発想は即座に否定されるだろう・・・



点と線・・点が違えば・・まったく違った結論になる・・・

頭の柔らかい者は聞く耳を持つが・・なまじっか、知識を持った人物は聞く耳を持たん・・困ったものだ・・・



邪馬台国は現代においてもいまだに「謎」になっている

いや”「謎」を卑弥呼が造ったのだ・・・・



文字のない世界に・・文字を持ち込んだ・・

だから「なぞ」になった。



文字が実用化されるまでに彼女の時代から500年かかる・・・

500年の空白を埋めた歴史が卑弥呼だ



これが私の推理だ・・・謎を解くには・・・・

卑弥呼の心の中、胸の内、腹の中が読めれば・・

なぞは消えて・・・なるほど・そうだったのか!”納得””



彼女の心が歴史を創ったきたと言える・・・・



このように考えると彼(清張)とまったく違った解釈が成り立つ


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Comments

No title 


それぞれの解釈があるんですね?....。

 
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